ヒーロー達

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阿部 寛行

震災を機に設立されたボランティアグループ、ネットワーク宮城の代表。元プロスキーヤー。ケガによる苦しい体験を乗り越え、現在は子供たちにアートやスポーツを活用し、精神的サポートを促す活動をしている。震災直後、いくつかの地元の非営利団体とともにネットワーク宮城を設立。ネットワーク宮城は被災した子供たちの心のケアと、食を通じて被災者の自立を支援する「キッチントレーラー」プロジェクトを推進。

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ナジーブ・アヤーズとアニース・ナディーム

アヤーズとナディームは90年代のユーゴスラビア危機以降、世界的な活動を行っている人道啓蒙組織「ヒューマニティー・ファースト」のメンバー。パキスタン人の2人は日本に移住し、働くことを選択。 ナディームは名古屋に住む妻と生まれて間もない、1ヶ月の娘を残し、8週間の東北支援へ向かった。2人は石巻湊小学校の体育館に寝泊りし、被災者にカレーを配った。ボランティアの人々も自身、個人的な課題と戦っている。にもかかわらず、千年に一度の大津波に自らの問題をいったん脇に置き、ボランティア活動に力を捧げた。助け合う心は国籍を超え普遍的である証である。

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伊藤 健人

高校生ドラマー。母親、祖父母、そして幼い弟律くん(5歳)が津波の冷たい水にさらわれ、命を落とした。激しいうつと生き残ったことへの罪悪感に苛まれ、自らの命を絶とうと考えたとき、がれきの中に見つけた泥まみれの小さな青い鯉のぼりに希望を見だす。彼は律くんと鯉のぼりを揚げたことを思い出し、生きて愛する弟の為に太鼓のセレモニーを催すことを決意する。セレモニーは何人かの才能ある和太鼓奏者の協力が得られることに。

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佐藤 淳一

雄勝中学校の校長。マグニチュード9.0の地震が起きた時、佐藤氏は学校にいた。その日の午前中は卒業式で、子供たちは全員、既に帰宅していた。佐藤校長はすぐに全教員を集め、近くの高台にある公園に避難させた。彼らはその後、昼夜を徹して全学生の安否確認を行った。最悪の事態においても奇跡は起こる。佐藤校長は、このコミュニティの柱である雄勝中学校を再建することができた。

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瀬戸 千恵子

瀬戸は芸術の教師だが、同時に、地域の歴史や文化を生徒に伝えることにも情熱を注いでいた。瀬戸先生は、がれきの山となった雄勝中学校で、生徒たちの大切な思い出の品々を探した。また、雄勝の伝統石工芸を教えるための素材も探した。彼女が見せてくれたのは一見、何の変哲もない黒い石。それは、この地に何世代にも渡り受け継がれてきた貴重な遺産だった。

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庄司 慈明

石巻市会議員。震災後、地元の湊小学校避難所のリーダーとなる。生存者にとってもっともつらい震災直後の数日間を、彼はその聡明さと静かな正義感を持って率い、さらなる悲劇を防いだ。真のリーダーとしての資質が試されるのは危機のときだ。絶望的な状況下でしょうじ氏はそのリーダーシップを発揮した。彼はまさにヒーローであった。

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千葉 秀

東北出身で、M’s Japan Orchestra の設立メンバー。M’s Japan Orchestra はロックやジャズ、和太鼓を中心にした日本の伝統音楽の要素を取り入れた音楽を創り奏でるバンド。「Pray for Japan 〜心を一つに〜」 の作品中にも独特な音楽を提供してくれている。

千葉氏は「Pray for Japan 〜心を一つに〜」の物語にも登場する。伊藤健人の、弟律くんを偲んで鯉のぼりをあげたいという願いをかなえるのに協力する。

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遠藤 学

地元、石巻のボランティアグループのリーダー。飼っているウサギ、ココアは動物セラピーとして被災者の心の傷を癒やす。

地震と津波が襲った直後から、彼はデジタルカメラを手に、被災地を歩きまわり、通信が完全に遮断されてしまっていた避難所で家族や友人たちの安否を心配する人々のメッセンジャーの役割を果たした。

遠藤さんのブログはこちらからFacebookはこちら。

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伊藤 秀樹

震災前は建設会社社長であり、青年会議所の地域のリーダーでもあった。震災が起きると、石巻災害復興支援協議会の会長として復興支援に尽力した。そこで彼の専門知識が発揮され、支援団体にはなくてはならない存在となった。

また、総合的な石巻応援情報がまとまっているウェブサイトはこちらです

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黒澤 司

日本財団のメンバー。カヌーや山での生活、神戸や中越における震災時の支援などの経験を活かし、今回の地震、津波の災害支援ではさまざまな分野で活躍。数千人ものボランティアの活動を管理し、指導した。

黒沢氏は何年にも渡る震災の復興支援の経験をブログに書いている。ブログはこちらから

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門間 光紀

震災後まもなく、阿部氏、遠藤氏などほかのボランティア団体のリーダーらとともにネットワーク宮城を設立。全国から大学生などのボランティアを集め、炊き出しや救援物資の運搬、そして大きな非営利団体の支援が届かない、ボランティアの穴となってしまっていた小さなコミュニティなどの支援活動を推進した。

門間氏は美しい宮城沿岸部を復旧させるため、今でも地元で活動を続けている。門間氏の非営利団体、まちづくりNPOげんき宮城研究所のブログはこちらから

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大槻 英夫

大槻氏は津波ですべてを失くした。被害を受けていないアパートに居を構えることができたものの、生活環境は震災前とはまったく違う。そんな彼だったが、自らのつらい思いを封じ込め、石巻ボランティアセンターのリーダーとなり、被災者の支援に力を投じた。彼は“人に対して当たり前のことをしているだけです。”と言う。

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吉村 誠司

日本財団メンバー。アフガニスタンやカンボジアなど世界中でボランティア活動に従事。非営利団体ヒューマン・シールドを設立。12年に渡り阪神大震災の復興支援に力を貸している。

市議会議員、YMCAのリーダー、カヌー選手、山男、災害復興支援エキスパートなどの経験を活かし、津波が襲った翌朝、東北に入り、伊藤氏、大槻氏らとともに石巻のボランティアセンターや石巻災害復興支援協議会を立ち上げるべく、力を尽くした。

また、支援ウェブサイトをオープンした

彼のブログはこちらから

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